日常日記→都市伝説考

えーと、今日は一日引きこもってました。うあぁ、ダメだぁ。ますます某巨大組織の陰謀にやられている気がする。のは気のせい。自ら動こうとしない限り何も変わりはしないのですよ。とかポジティブっぽいことを言いたくないのは照れがあるからです。
まぁそんなことはどうでもいいのですよ。今日は先日の「達磨(正しくは「達者」っぽい)」がらみで都市伝説について研究してました。早い話がネットで都市伝説系のサイトを巡回していたということですね。
いやはやしかし、都市伝説は面白いですねぇ。有名どころだと「病院の死体洗いのバイト」とか「白い糸」とか、ちょっとマイナーっぽいのだと「深夜の生放送で電波にのった生首」辺りですかね。おれ的に面白いなぁと思ったのは「鮫○事件」「牛の首」あと、ドラ○もんの「タ○ント」ですかね。ちなみに伏字にしたのは検索避けです。特に「○島事件」はかなりヤバイ話らしいので、検索されて当局にマークされても困るので。
怪談や噂話、俗説などさまざまな都市伝説を読んでみて感じたのは、人間の根源にある「不可解なものに対する恐怖」の存在でした。これらの話は、おおよそ不可解で不気味なオチがついています。心が落ち着かなくなるような不気味なものが。その不気味さは、その話の真偽が、すぐには判断つきかねるものであることに由来しているのだと思います。
そしてこれらの話は、話す側も聞く側も、ある種の快感を感じていると思われます。話す側は聞き手を驚かせたという達成感による快感、聞き手は不可解で不気味な話を聞かされて、不快な気分にはなったものの、次からは話す側に回ることが出来るという倒錯的な快感。この快感への情動がチェーンメールの連鎖を生んでいるのかもしれません。
それともう一つおれが思ったのは、これらの話は「恐怖のデータベース化」なのかもしれない、ということでした。先にも述べたように、人間は不可解なものに対して恐怖します。ということは、不可解でないものに対しては、その恐怖は緩和される事も意味していると思うのです。噂話や怪談の形をとって、あらかじめ恐怖の類型をインプットしておくことにより、後に遭遇しうるかもしれない恐怖に対しての耐性を得ようとしているのではないかと。
『ひょっとしたら起こるかもしれない』不可解な事象に対して、予備知識を蓄積しておくことによって対処できないまでもその不可解さは軽減することができる。
とかそんなことをボンヤリと考えていたら、なんだか眠くなってきて、ちょっとの間寝てました。夢の中でカシマレイコという女性に出会いました。彼女は「足が要るか?」と聞いてきました。おれは、「要る」と答え、「カシマさんの”カ”は仮面の”仮”、”シ”は死人の”死”、”マ”は悪魔の”魔”」と言う呪文を唱えれば助かると聞いていたのでその通りにしました。「要らない」と答えると足を取られてしまうということです。ちなみに、この話を聞いた場合、3日以内にカシマレイコが夢に現れるそうですよ…。